自分探し
一年以上書いていなかったはてなブログを、久しぶりに書こうと思います。
やりたいことが分からなくなってしまった人、不安が頭をぐるぐる巡って抜け出せない人。
そんな誰かの背中を押せるような文章を書いていきたいです。
「自分探し」について。
"自分探し" という言葉は、ほとんどの人が「明るい未来」を見据えた行動だと考えると思います。
しかし私は、それを数年続けた結果、未来にとんでもない不安を寄せるようになりました。
私は、ADHD、ASDグレーゾーン、双極性障害を持ち、アルバイトを転々とした結果、就労継続支援A型という働き方に行き着きました。
そこに至るまで、そして今でも、何度も「自分探し」をしようと試みました。
何も続かない、自分には出来る事がないというジレンマ。
私は、「自分の中に隠れている才能」を必死に探そうとしました。
思いつくワードを次々に検索し、「これなら向いているかも、できるかも」という職業や資格を見つけ出しました。
しかし、その結果何も踏み出せなかったし、変わりませんでした。
世の中には、子供時代も仕事も、何となくで器用にこなせて来た人、もがきながらも自分を保ってきた人も居れば、努力をするのが怖い人、生きるのがちょっと下手くそな人がいます。
でも、私が「自分探し」を続けて来てわかったことは、「知りすぎないことの楽しさ」です。
私は、何でも検索し、原因と答えが見つかるまで考え続けてしまいます。
その結果、何も手付かずで全て終わってしまうのです。
色んなことへの楽しみや期待、興味も、知りすぎることで不安へと変わってしまいます。
知りすぎないこと、それが人間をワクワクさせます。そして、「忘れること」。
人間の脳は単純で複雑です。
今日食べたご飯は、1ヶ月後には覚えていない。でも、不安や後悔やトラウマは拭いきれないほど頭にこびりついてしまいます。
そんな方々が少しでも楽に生きられるように。
脳みそを軽くして、生きられるように。
「知りすぎない」
「忘れる」
私はこれをモットーに生きたいなと。
皆さんが明日も心地よく過ごせますように。
えのちゃん
楽に生きる
「生まれ変わるなら、人間になんてなりたくない」
私は入院中の半分、いや半分以上は、そう思って過ごしていた。
もし20年後の自分に話しかけられるとしたら、
「元気にしていますか?」って尋ねるより、
「死ねましたか?楽になりましたか?」
って尋ねたい。
そのくらいまで思っていた。
私は昔から、自己中心的に生きてきた。
だから、この入院で変わりたくて、
小さな良い事をする努力をした。
"神様は見てる" なんて言い聞かせながら。
結果、無理だった。
誰にも気づいてもらえない努力をするなんて、
私にはきつかった。
「 "私、こんなことしたよ!
こんなに頑張ってるよ!" 」
誰かにそう認めてもらいたい。
承認欲求の塊だった。
でも、必ずしも努力はプラスな事になって返ってくるのだろうか。
答えはきっと、そうではない。
人生は意外と単純にできていて、運が良ければ、いい事は返ってくることもあるし、どんな努力をしても、試練ばかり訪れることもある。
でも、だから楽しいのだ。
きつい努力なんてしなくていい。
したい時にすればいい。
根拠のない自信
それだけ持っていればいい。
そうすると、気付かぬうちに、自分が人を支える番になっている。
人に頼られる、人を支えるということが、さらに自分を強くする。生きる力が湧く。
そのように人生はできているのだ。
だから、もしこのブログにふらっと訪れてくれた貴方が、これを読んで、少しでも生きる力が湧いたら、それがまた私の背中を押すきっかけとなるのだ。
読んで下さった皆さん、本当にありがとう。
えのちゃん